僕のいる組織の色素
組織というのは時に強く、時に残酷だ。
僕の下手で拙い文ではあるが、
今回僕が痛感したことについて、ここに記しておく。
色素とは、
可視光の吸収あるいは放出により物体に色を与える物質の総称。 色刺激が全て可視光の吸収あるいは放出によるものとは限らず、光の干渉による構造色や真珠状光沢など、可視光の吸収あるいは放出とは異なる発色原理に依存する染料や顔料も存在する。
これを人に例えると、
僕のいる大きな組織、幹部の色により、組織、部下の色もそれに吸収され、それに染まる。
しかし、
そこに染まらなかった者が、排除される。
そういう組織だ。
そこにはそこのやり方がある。
仕事のため、そこに染まらなければならないこと、組織に染まらなければならないことはたくさんある。
それはだれだって納得できる。
だが、
納得できないこと、組織が腐っていること、幹部という人間が腐っていること。
それが改めてわかった。
僕が今いる所属のトップとその所属の幹部たち、幹部なだけに頭は良いのかもしれないが、人としてバカだ。
組織人である前に、人としてダメだ。
人間性に欠けている。
先日、Fellows日記にも書いた通り、僕と同拝命の尊い命がなくなった。
翌日朝礼などで、今の所属のトップから、説明があってもいい。
いや、あるべきだ。
それが全くない。
他の幹部からも一切説明がない。
幹部達で、この話はしないでおこうと口を揃えたのだろうか。
言葉を引き上げようと
すればするだけ形づいてく
本当のことはいつでも
誰かの口で捻れて行く
(歌の中には不自由がない ASKA)引用
そして先日、招集行事という、所属のみんなが1ヶ月に1回講堂に集まる行事があるのだが、そこでの説明も一切無かった。
せめて、事実のみでも説明があってもいい。そして、全員で黙祷をするということもして欲しかった。
まるで、あの先日の出来事がなかったかのようだ。
その亡くなった彼が、初めからいなかったような、存在すら否定されているように思えた。
組織にも所属にも幹部会議というものがある。
僕が幹部なら、間違いなく、この話しをするであろう。
僕は組織によるいじめにより、その彼は亡くなったと思っている。
救える命があったはずだ。
そこには他にやり方があったはずだ。
それを、間違った対応をしていた。
幹部たち自らだ。
身内を守れない奴が、
他人を守れるのか?
そこに誇りを持って仕事できるのか?
こんな所属にいたくない。
今の所属の幹部、誰一人信じられない。
早くここを脱出しなければ。
僕の今の立場は、
初級幹部という役割だが、
昇任すれば、幹部会議にも出られるし、
所属も変わる。
そこの所属で理不尽なこと、不可解なことがあれば、幹部会議で僕は遠慮なく発言していくつもりだ。
そうしないと、上が怖くて何も言えない幹部会議なら、全く意味がない。
なら、所属長達で決めた決定事項等を書面にし、
各課に配ればいいだけだ。
おそらく僕がそういう幹部になれば、上は僕のことが邪魔だから、何処か遠い部署や、文句が届かない部署に飛ばされるであろう。
簡単に言えば、
「こいつはヤバイ奴だ」
と、上から筆で殺されてしまう。
そして、異動の時期に変なところに飛ばされてしまう。
そういう組織だ。
それが怖いために、みんな上に逆えず。
結果、昔からこの組織は変わらない。
変わらなければならないのに。
この大きな組織に、
自分で言うのは変だと思うが、
僕のような人間も一部にいることを、
世間のみなさんに少しの人でもわかってもらえたら、幸いだと思う。
※ 他に書きたいことたくさんあったのですが、なんだか疲れてしまうので、この辺で失礼します。
#ASKA #Fellows